石巻
3.11
2日目。ちょっとドタバタして朝食を逃したが、無事に電車に乗った。
今回の旅を計画するにあたって、真っ先に決めた場所の一つが石巻。2011年の震災で津波に流されてしまったエリアに「みやぎ東日本大震災津波伝承館」という施設がある。そこを訪れてみたかった。
震災当時、私はイギリスで大学院を終え、仕事を初めて2年目。朝の出勤途中、ニュースを見ていなかった私に大学時代の同級生が「大丈夫?」というテキストを送ってきた。会社に着くと同僚がBBCの映像を見ていて、馴染みのある日本の住宅街が津波に押し流されるのが映されていた。この二つの光景だけ、やたらはっきりと覚えている。
あれから10年以上経ったんだなぁと思いながら、石巻の駅に着いた。知らなかったのだけれど、石巻は漫画家 石ノ森章太郎さんと繋がりがあるらしく、駅舎に描かれたキャラクター達がお出迎えしてくれた。
(朝食を逃していたところにちょうどカレーパンが…!駅前でまずは腹ごしらえ。駅の売店までこんなハイレベルなカレーパン売ってるなんて、日本はほんとすごいよ…!)
伝承館までの交通手段は一日数本のバスのみ。恐らく修学旅行とか、グループで勉強に来る人の方が多いのだろう。歩くには遠そうだったので、タクシーに乗ることにした。
伝承館に行きたいことを伝えると、運転手さんが色々と話をしてくれた。駅側は標高が高くなっていて津波は来なかったこと。被災した小学校を残すかどうか、地元で話し合ったこと。震災後、絶望で橋から身投げする人がいたこと…。最後に、「がんばれ石巻」の看板の場所を見せてくれて、伝承館についた。
伝承館には学生達のグループのほか、訪れている人が数名。パネルと解説動画、地元の人たちのインタビューなどが見れた。
「団体さんはゆっくり説明しながら周るので、逆の順番で見た方が良いかも知れません。」
説明員の方にそんな気遣いをしてもらって逆から周ることになったのだが、その最初にみた最後のセクションで、いきなりハッとさせられる事となった。
知ってはいたけど、日本の復興する力の高さ。地震発生後、わずか数日で救助のための道路ができた、という話には心底驚いた。ヨーロッパのような比較的災害が少ない地域と違い、日本は常に災害と向き合ってきた国だ。地震だけじゃない、台風だの洪水だのとにかく年がら年中自然と向き合って、街を守りながら日々暮らしている。壊れてしまった、しかも絶望的な破壊の後に「建て直す」というのはものすごい胆力がいることだ。日本の底力は復興の力に表されると思う。
逆に、自然災害に向き合うマインドセットがあるからこそ、気候変動を「止める」という感覚には至らないのかも知れない。自然のことだから、人間はできる限り対応するだけのこと。そういう考え方になってしまうのかも知れない。その一方で、欧米社会はこれを人類が滅ぶかどうかのレベルで捉えている気がする…(いや、欧米社会は主語が大きすぎるか)。
未来の事は誰にもわからないし、隕石が落ちるレベルで地球が壊れてしまうのかどうかはわからないけど、1.5度の上昇がこの世界にもたらす影響は多くの研究が証明している。これだけ技術力がある日本が本気で気候変動対策のリーダーシップを取ることは、世界にとっても大きな価値があると思うのだけれど。しかもここ数年、建てるより破壊する方に夢中な国も出てきたわけだし。
そういえば、「Rent」というミュージカルでこんな歌詞あったな。
“The opposite of war isn’t peace. It’s creation.”
創造を続けることで戦争の反対側に居続ける、というのも平和主義の一つの形なのかも。
そんなことを考えながら、伝承館の周りをしばらく散歩して、海が見えるところまで行ってみた。海がある景色、好きなんだけどな。この海水が押し寄せてくる恐怖、想像してもしきれない。仕事で定性調査をする時もそうだけど、実際にその場に行ってみないと本当の意味で理解できないというのはあると思う。もちろん私は当時その場にいたのではないので、本当の意味での理解ではないけど、海外にいた12年前の当時よりは、少しだけ理解が進んだ気がした。
しばらく歩くと、献花台を見つけた。そっか、花持ってきてよかったんだ。しっかり調べてくれば良かった。考えが及ばなかった。
当時の姿を保存してある門脇小学校のあたりまで行ったところで、帰る方法がないことに気づいた。行きのタクシーで距離感はわかっていたし、最初は歩こうと思っていたんだけど、もうすでにヘトヘトな上に駅への道は上り坂…。
結局、伝承交流施設 MEET門脇の受付の方に聞いて、タクシーの電話番号を教えてもらったのでした。